yuyuの備忘録

読書記録、ときどき海外ドラマ。

「日本人は思想したか」吉本隆明・梅原猛・中沢新一

新潮文庫
1998

対談本で面白いと思うものはほぼほぼないのに、古本屋で見つけたらついつい買ってしまって後悔する。今回も後悔する方の一冊だった。

3人はわかり合っているのかもしれないけれども、読者は置いてけぼり。もしかしたら当の3人だって相手の言っていることが分かっていないのかもしれないと思うくらい。

1998年の本。読んで感じたのは、東日本大震災で日本人の価値観や考え方が大きく変化を迫られたということ。原発や自然について話している部分があるが、分からないなりに違和感を感じた。

印象に残ったのは四季についての話。
和歌の世界において早い段階で日本に四季があると規定してしまい、それが今のいままで続いているとの指摘。
沖縄や北海道など、四季があるとは言えない地域だってあるし、紅葉といっても東北の紅葉とそれ以外の地域のとでは違う。そういう違いもっと目を向けても良いと思った。

対談本でなく、次は梅原猛の本を読もうと思う。

「ラスプーチンが来た」山田風太郎

文春文庫
1988

日露戦争ではロシアに潜入して工作を行い多大な貢献をした明石元二郎。その彼の若かりし頃の物語。
どこまでが史実で、どこまでがそうではないのか分からない、山田風太郎作品の魅力が全開。司馬遼太郎坂の上の雲を読んでいる人にはかなり楽しめるのではないだろうか。

物語に登場する稲城黄天と下山歌子。モデルはいるが親族からの抗議もあり名前が変えられているという。描かれ方をみれば抗議が来てもおかしくないか、というくらいどちらもアクの強いキャラクターである。

明石の物語は、川上操六から乃木希典の2人の息子が見たという幽霊を退治してほしいと頼まれるところから始まる。それが縁で乃木の馬丁の津田七蔵と出会い、さらにそれが雪香という美女との出会い、そして稲城黄天、更にはラスプーチンと繋がってゆく。

津田七蔵という名前からなんとなく話の流れの想像はしていたのだが、そこに前半生のよく分かっていないラスプーチンを絡めた話の筋はお見事としかいいようがない。更に傍観者のような立場で物語に出てくる二葉亭四迷や、チェーホフも魅力的だ。

後半にいくにつれ歴史というより奇怪小説に寄ってゆく感じがある。ラスプーチンの圧倒的な存在感もあり、明石の登場場面そして存在感も減ってゆく。
日露戦争を見据えた上でのあえての結末なのだろうけれど、明石には良い結末が待っていてほしかったと思ってしまった。

「黎明 日本左翼史 左派の誕生と弾圧・転向 1867ー1945」池上彰・佐藤優

講談社現代新書
2023

池上彰佐藤優による日本左翼史シリーズの4冊目。戦前を扱った今回で最終巻。

池上彰佐藤優による左翼史シリーズは、共産党とは別の視点から日本の左翼氏を振り返る試みが必要なのではないかという思いから始まっている。結党100年を迎える共産党が2022年には何らかの出版物を出すであろうことが予想され、そのタイミングに合わせたものだった。
しかし、両氏の読みに反して共産党が2022年に党史を出版することはなかった。
満を持しての「日本共産党の百年」は、この本が出てから数カ月後の2023年10月に出たばかりだ。これについて2人がどのような評価をするのかは是非とも知りたいところ。

佐藤優自由民権運動に対する評価は厳しい。
左翼運動の黎明期。まだ右翼やアナーキストと未分化なところもあるけれど、議論も活発で面白いのは幸徳秋水大杉栄の時代あたりまでだろうか。

その後は政府の弾圧も激しい上に、ソ連が出来てからは基本的にはコミンテルンの指導方針に従ってゆく流れ。
弾圧され、リーダーが逮捕されても必ずソ連で学んだりした経験のある次の人材が出てくるのはすごいのだけれど。
戦況も厳しくなり政府の弾圧はますます厳しくなり、さすがに人材がいなくなってゆく。活動も暴力的な方向に走ったり、更にはリーダー格の中から転向者が一人出るとそれが波のように広がっていく。

戦後は、コミンテルンの指示にただ従うだけではない、別の形の社会主義共産主義も考えていた人たちが左翼史を作っていく。

気になったのは転向の部分。天皇制をひとたび認めてしまえば、あとは右翼にもなってしまう、そこの論理が分かるようで分からない。
他の部分が丁寧な補足も含まれていてわかりやすいだけに、そこをもうちょっと分かりやすく書いてくれたらなあとついつい思ってしまった。

「ベルリンは晴れているか」深緑野分

ちくま文庫
2022

一見外国の小説の翻訳のような、深緑野分の小説。
そのあらすじは、1945年、4カ国分割統治下にあるベルリンで少女アウグステが殺人事件の捜査に挑むというものだ。

アウグステとその相棒カフカが殺人事件の捜査に巻き込まれていくという大まかなプロットはある。だが、全体として読んだときに単なる部分の寄せ集めという印象が否めない。
歴史的な背景は面白いし勉強にもなるのだが、そこで肝心の登場人物たちが生き生きと動いているように感じられない。
肝心のアウグステの過去は事実が描写されるものの、彼女の性格がほとんど見えてこない。カフカにしても、成り行きからアウグステと一緒に旅をすることになるのだが、そこで何か化学反応が起きているというわけでもない。キャラクターに魅力があまりないため、ナチス下ではドイツ人がユダヤ役を演じていた歴史があって、そういう人たちも戦後苦しんだんだなあ、で終わってしまう。

ちょっと手助けしてくれるハンスやヴァルターも、登場人物として必要だったのか疑問。ナチスの少数者への迫害の凄まじさを入れ込みたかっただけではないだろうかと推察する。

ナチの残党、映画会社のウーファ、ソ連、4巨頭会談などなど、描きたい背景が多すぎて絞りきれていないことが一番の問題だろう。おそらく作者が描きたかったのは登場人物ではなくて背景なのだろうし、しかもその背景もどこを切り取りたいのか絞りきれていない。

登場人物のなかで唯一良かったといえるのは、ドブリギンの部下のベルパールイだろうか。彼の生い立ち、軍人に徹底した振る舞いの中にたまに見える青年らしい表情、そしてしょせん自分は駒でしかないという諦めのような心情も描写されていた。

全体がそんなふうなので、殺人事件についてもどうもすっきりしない。ドブリギン大佐の意図や行動の背景など、いろいろ盛り込んだはいいもののしっかりと最後まで描ききれていないと思う。肝心の殺人事件が物語の軸になっていない。

歴史が好きな人、映画が好きな人には面白いのかもしれない。でも、個人的には各章の間に挟まっている「幕間」すらも煩わしいと感じた。

「モーパッサン短編集(三)」

青柳瑞穂訳
新潮文庫
1971

3冊刊行されている新潮社のモーパッサン短編集。
フランスの作家、モーパッサンについて。
1850年、ノルマンディー生まれ。普仏戦争に従軍。30歳のときに発表した「脂肪の塊」が評価され、次々と作品を発表。神経系の病気に苛まれ、42歳で精神病院で死去。
(参考:ギィ・ド・モーパッサン 光文社古典新訳文庫

あとがきによると、故郷ノルマンディーものが第一巻、パリものが第二巻、そして戦争とオカルトものが第三巻というふうに分かれているそうだ。

ひとくちに戦争ものといっても、パリの市民の戦争と、農村の人々の戦争と両方が含まれていて、大きく様相が違う。
冒頭に収められた「二人の友」は、唯一の楽しみである釣りを久々にどうしてもしたくなり、出かけて行ってスパイと間違われてしまう2人のパリ人の話だ。そこにある諦めのようなもの。
対照的なのが、いくつかの短編で描かれている、農村の人たちの一種の残酷さだ。ドイツ人に敵意を持っていたわけでもなく、素朴に暮らしていた人たちが、家族を戦争で奪われるなどのきっかけで、行う壮絶な行為。そこにあるのは大きな大義や思想などではなく、ただただ家族を奪われた悲しみだけだ。

戦争もののなかで異色なのは「口髭」だろうか。
男性の口髭がいかに性的に魅力的かを友人宛の手紙の中で語った、一見戦争とは関係ない作品。こんな手紙でも、最後はフランス兵士の遺体の立派な口髭の話で終わる。

オカルトものでは代表作、「オルラ」も収録。日々の自然の美しさを主人公が満喫しているところの描写が本当に美しくて、なおいっそうそこからの展開が恐ろしい。

良い作家は作品に共通するイメージがある作家だと大江健三郎が書いていた覚えがある。
短編集、それも第三巻を読んだだけなので確かなことは言えないが、モーパッサンの場合は水辺と水面の光だろうか。
戦争やオカルトというテーマではありながらも、美しい自然の描写も堪能できる贅沢な短編集といえるかもしれない。

「オペラをつくる」武満徹・大江健三郎

岩波新書
1990

武満徹大江健三郎が新作オペラの構想とそのアイデアを話し合う。その創造の過程を記録した貴重な一冊。
対談は数回に及ぶ。その間も2人とも色々考えては却下して、アイデアの一部は別の場所で別の形で実現したり。結局この構想は実現しなかったわけだが、まずオペラを作る上での"ビジョン"から話し合っていくのが非常に面白い。

2人の作りたかったのは、暗黒舞踏鈴木忠志の舞台をオペラにしたようなものイメージだろうか。そこに広い意味での、人間が生きていくうえで避けて通れないものとしての「政治性」を盛り込む。
自分にはさっぱり分からない予感しかしないけれど、どんなものが出来上がっていたのか観てみたかった。

日本で出来たオペラが外国で上演されるようなことがこの先あるのだろうか。
例えばさわかみオペラ。日本のオペラを作るという目標を掲げているが、今はまだ市民オペラや留学支援、そしてオーケストラ設立など、まだオペラを作るための下地作りをしているように思える。

新国立劇場からは新たなものを生み出そうという気概は感じられない。
いっそのこと、海外で面白い日本人がポンっといきなり新しいものを作ってしまったりしないだろうかと淡い期待を持ちながら。

「八月の御所グラウンド」万城目学

文藝春秋
2023

鴨川ホルモー以来、16年ぶりに万城目学が京都を舞台に書いたという。
収録されているのは短編2作、「十二月の都大路上下ル」と「八月の御所グラウンド」だ。

感想を一言でいえば、これを万城目学が書く必要があったのかということ。
けれど、2作ともだが、こういうちょっと心温まるような短編ストーリーで良いのだろうか。

年齢やその時の気分によって、書きたいものは変わってくるのだろう。でも、その作家だと分かるような根底に流れている共通のイメージというか世界観はあって欲しい。
八月の御所グラウンドに関していえば決して悪くはない。でも、その作家らしさが、沢村栄治というのだけではちょっと弱かったと思う。

「ひとこぶらくだ層ぜっと」で久々に彼の世界観を楽しませてもらい、またこういう作品が読めるのかと期待したぶん、残念だった。