yuyuの備忘録

読書記録、ときどき海外ドラマ。

「自由への道(5)」J・P・サルトル

海老坂武・澤田直
岩波文庫
2009

第三部、魂の中の死。

時代は飛んで前巻から2年ばかりたった1940年6月。
ニューヨークのゴメスの場面から始まる。パリ陥落のニュースに無関心な様子のニューヨークの街。
スペインを十分に支援しなかったとフランス人には冷たいゴメスは、彼らの様子を見てやろうという意地悪な気持ちからフランス人のいそうなレストランへと向かう。そこで客のフランス人と話をしながら、自分もここでは単なる移民に過ぎないのだと思い至る。

そして、ここにきて再びマチウがメインで描かれる。
再登場の場面はちょっとシュールだ。人参畑で数人の仲間と共に休み、待機している。
パリは陥落しているが、マチウのいる部隊では休戦か否かの情報が行き交う。

一種の戦争小説なのだが、描かれるのは戦闘もなく、上官には捨て置かれなす術なく、ドイツ軍の恐怖に怯えながらも田舎で過ごす兵士たちだ。
この描写は、サルトル自身が銃を構えるような戦闘を経験せず捕虜となり、そこでも芸術班に配属されていた事情も関係していそうだ。

マチウはここでも皆とは少し距離があり、没入して気持ちを共有できずにいる。上官の逃亡を知った際には一瞬皆とひとつの気持ちになった気になるが、長続きしない。
全てを忘れようと酔っ払う仲間に入ることもできない。
ここでマチウを眺めているのは歴史の"まなざし"。

だれかがわれわれを眺めている。群衆はますます密集し、彼らがこの歴史的な丸薬を飲むのを眺めている、群衆は次第に歳をとっていく、後ずさりし遠ざかり、こうささやいている。「四〇年の敗者、惨敗の兵士、われわれが隷属状態にあるのは彼らのせいだ」。これらのまなざしは変化していくが、そのまなざしのもとで彼らは変化せずここにいる、裁かれ、測られ、説明され、告発され、容赦され、断罪され、消すことのできないこの一日の中に閉じ込められ、縄と大砲との唸り声の中に、熱した緑草木の匂いの中に、にんじんの上で震えている空気の中に埋没し、彼らの息子たち、孫たち、曾孫たちの眼に限りなく有罪である、永遠に四〇年の敗者である。(p158)

ドイツ軍が迫る中でマチウが下す決断。
休戦かもしれないという時に、わざわざ銃を持って戦うなど無駄死にだとピネットに言いつつも、彼と行動を共にする。ここにきての自己破壊的な行動は、まるでこれまでの人生で何も決断を下すことのなかった自分への復讐のよう。
サルトル自身は最後まで銃を構えることはなかったにも関わらず、マチウに銃を取らせたのはどのような意図があってのことだろう。ここでマチウがいなくなるということは無いとは思うけれど、この体験が彼をどう変えてしまうのか。

第三部では他にも今までの分別ざかりで出てきた人物たちも再登場。
夫のジャックと共にパリから逃げるオデット。パリを離れたくなかったというオデットの本音。マチウと連絡が取れなくなってしまうからだ。だが、そんな本音をジャックに言うことは決してないし、妻が何を考えているかなんてジャックが考えることもないだろう。
暗闇の夜、オデットが考えるのはマチウのこと。深くマチウを思うオデットには少し心を動かされる。

加えて、パリから必死で逃げるサラに、ドイツ軍がやってくるのを解放されたような気持ちで待つダニエル。ダニエルについては、マチウに信仰について長々と書いたあの手紙は何だったのだろうと疑問でしかない。パリの街をひとり彷徨っているが、マルセルはどうしているのか。
そして結婚したもののの夫の両親に嫌気がさして逃げ出したいイヴィックに、イギリスに渡って戦闘を続けるか葛藤するボリス。

マチウ以外には興味が湧かなかったというのが正直なところ。
次の巻では、ブリュネが再登場してメインで描かれていくようだ。

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